2010年7月30日金曜日

エチオピア編⑤コーヒー飲用の始まり


ここで京都大学・故と福井勝義先生のコーヒーに関する報告をご紹介しますと(アビシニアの奥地、そこにはコーヒー発祥の地とされるカファ地方があります。そこの現地調査をもとにして)、アラビカ・コーヒーは他のコーヒーの品種と異なり、異質倍数性(他は2倍体である)であり自家受粉します。アラビカ種の中心地はエチオピア西南部の1000~2000㍍の地域であり、ここには遺伝的変異が豊富に見出される地域で、またサビ病がアラビカ種と共生していることなどから、エチオピア起源説を植物学的に指示する.. Meyer説を推した上で、「これまで言われているように野生のアラビカ・コーヒーが西南部(カファ地方)に広く分布しているとする説(変種、亜種はあるが)に疑問を呈し、アラビカ・コーヒーの野生種(原種)は植物学者によって報告されたことはあっても確認されてはいない」と述べています。エチオピアはイエメンより以前から東地中海やインドと交流をしていたのに外に伝播しなかったのは、交流を持っていたのがエチオピア北部のアクスムが中心であったからであり、メネリク2世がエチオピアの南部のカファ王朝を征服しエチオピアを統一したのが19世紀末であり。カファ地域の特異性から、他部族とのひんぱんな交流でコーヒーの有用性は早くからアラブのしるところであった、イエメンに伝わったのは、東部ハラールに拠点を置きアラブが南部にその勢力を拡張した13~14世紀が妥当であろう」との見解です。コーヒーの呼称については大別すると3つの体系があり。①buna(ブナ)型 セム系のアムハラ、ティグリヤ、グラゲ、ハラーリ語。またクシ系のガラ、アガウ、ジャンジェロ語がこれに該当し。②qahwa(カフワ)型 東部のセム系ハラーり族、グラゲ族に見られ、コーヒーの豆・葉・殻もしくは茶の葉を利用した飲料である。特に葉からつくったコーヒーを.. qutti qahwa(クティ・カフワ)とよび豆からつくったコーヒーを.. bun qahwa(ブン・カフワ)。殻からつくったコーヒーをhasar qahwa(ハサール・カフワ)とよんでいる。これはアラビアqahwaにもとずくものだ(Leslou説)。 そして、発祥地西南部では③多様な呼称を用いている。ボディ 族は.. tika 、ギミラ族やマジャンギール族は.. gia(ギア)や kari
(カーリ)とよぶ。呼称が多様で土着的であることや、豆、殻、葉も香辛料などとともに薬と用いる方法から、アムハラ系やアラブ系呼称の影響を受けない独自のコーヒー文化が発達していると福井先生はのべています。 また西南部に残る、儀礼におけるコーヒーの役割にも言及し、A力をそなえたコーヒー、B超自然界との媒体、C場の移行としてのコーヒー、D出会いのコーヒーがあることを詳しく述べています。これらのことから、コーヒーの発祥地はやはりエチオピア西南部であろうとのべられています。(※多くを書けませんので是非「茶の文化」第2部淡交社刊・福井勝義著を入手され読まれることを私はお薦めします) そして、コーヒーの飲用については二種類の飲み方あることを紹介されています。①は(いわゆる現在、コーヒー・セレモニーとして知られている)定着型農耕民の地域に見られる煮出す濃厚なコーヒーであり、塩やバターや香辛料を加えて飲む。②は、遊動する農耕民や牧畜民にみられる瞬間煮沸式淡泊型のコーヒーである。先生は牧畜民ボディ族調査に向かう途中、マラリアにかかり苦しんでいたところ、でてきたのが1㍑も入るヒョウタンにトウガラシとショウガを入れたうすいうすいコーヒーで、トウガラシの粉を吹いて遠ざけながら飲みほすと、まもなく多量の汗がでて熱が下がったのだといいます。そしてそれはボディ族に日常的に観察出来ると述べておられます。  ここで、イスラム法学者ザブ・ハニーに話を戻しますと。②こそがザブ・ハニーが飲んだコーヒーであるようにおもいます。なぜなら①は明らかにアラブの影響を受け、逆輸入されたbuna型飲用法ですから。 私論ですが、それはイスラム以前、イエメンにかつてあったkahwa(コーヒーの語源・ワインの一種)の製法(発酵しすぎを熱火を加えて止める)と結びつき現在のコーヒーに発展したように考えられます。一説ではbunn(ブン)とは昔、果実一般を指した!?言葉だそうです。

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